周易81吉凶数理のはじまりは古代中国で未来を予言するとされた「河図洛書」に始まります。
河図洛書は1から9までの数理をもって万物を説きあかせるとしていました。
秦~漢の時代には、陰陽五行、災異瑞祥などと昔の経典を結び付けて未来予言を行おうとする讖緯説(しんいせつ)が流行していました。
この時代に河図洛書は「緯書」(予言書)としてまとめられました。。
その後、宋の時代になると、蔡沈という学者が現れます。蔡沈は著書「洪範」の中で、河図洛書と周易を用い、数の変化について述べ、「81数范数図」を完成させました。
なぜ81までなのか?
仏教の教えや、老子の『道徳経』では、万物は九九=八十一難を経て、再び循環し、繰り返されるとしています。そのため、一般的な姓名判断でも、81を超える画数になった場合は、その数から80を引いた数で判断し、循環させているのです。